1970s

刺激に満ちた挑戦の10年 - 10 Years of Challenge -
驚異的な経済成長の中にあった1970年代初頭、日本に大きな潜在的な市場があると見定めたベクトン・ディッキンソン社は、有楽町のビルの一室に日本支社創立に向けて連絡事務所を開設しました。BDにとっては、世界で12ヵ国目、そしてアジア市場で最初の拠点の誕生です。
当時BD製品の一部は、国内企業を通して販売されていましたが、日本国内の医療用具市場はまだまだ小規模メーカーが多い状況でした。そのような中、医療分野では先進的な製品・技術に対する要望が高まっており、海を越えてやってきたBDは注目を集めました。
「挑戦の10年は、大きな期待と同時に外資系企業ならではの戸惑いもあり、刺激に充ちたものでした」、日本BDの創生期を支えた一人はそう語ります。創業時の社員数はわずか7名、日本で採用された代表者やスタッフは、米国本社のサポートを得ながら、「日本の医療の進歩を手伝うことができる」と、期待とやる気に満ちていました。
有楽町オフィスにて
有楽町オフィスにて
1971 社員数 7名
4月 ベクトン・ディッキンソン アンド カンパニーの日本連絡事務所を新有楽町ビルに開設
12月22日 ベクトン・ディッキンソン・オーバーシーズ・インクの日本営業所開設
赤坂8丁目島藤ビルに事務所移転
ゼネラルマネージャーH.E. ギル就任
プラスチック製ディスポーザブル組織培養器具BD Falcon™製品を興和器材株式会社を通じて販売開始
BD BBL™ 粉末培地を三光純薬株式会社を通じて販売開始


1972 第5回世界麻酔学会(京都)にてメディカルテクニカル製品を初めて日本で展示


1973 ゼネラルマネージャーV. L. マッケルビー就任
BD バキュテイナ カルチャーチューブ
BD バキュテイナ カルチャーチューブ
1974 社員数 13名
プラスチック製ディスポーザブル 組織培養器具BD Falcon™製品発売

血液培養ボトルBD バキュテイナ™
カルチャーチューブ
発売

1975
薬剤検査室を設置

管理薬剤師を配し、厚生省より医薬品および医療用具輸入販売業の許可を取得

BD BBL™ミニテック簡易型細菌同定システム発売
BD プラスチパック インスリンシリンジ
BD プラスチパック インスリンシリンジ
1976
自動細胞解析分離装置
BD FACS™ フローサイトメーター発売

BD プラスチパック™ インスリンシリンジ発売

BD BBL™ ミニテックのユーザーズミーティング開催


1978 社員数 50名
BD BBL™ 生培地を米国より輸入、テストマーケティング開始

1979 社員数 80名
BD BBL™生培地を米国より本格輸入開始
藤沢薬品工業(株)より真空採血管ビジネスを移行開始

世界の70年代


1970 大阪万博

1971 ニクソン・ショック

1972 沖縄返還

1973 第一次オイル・ショック

1975 ベトナム戦争集結

1976 ロッキード事件

1977 日航機ハイジャック事件

1978 成田国際空港開港/世界初の体外受精児誕生