第13回 携帯が使えない!? ー合併症のお話ー

Nさんは、40代前半の会社員です。

最初は「湿疹ができて薬局で買った薬を使ったけれど全然治らない」という訴えで来院されました。見ると、直径5センチくらいの、ほぼ円形でピンク色の、カサカサした縁が少し盛り上がっている発疹がいくつか…。
「ここの皮膚をこちょこちょっと採って調べさせてくださいね。」と、祖父が昔使っていたメスを取り出しました。(昔は金属のメスを研いで使っていました。もちろん、今ではメスは使い捨てです。この縁がなまくらになってしまった古いメスは、皮膚をこすって薄い皮膚片を採る目的にしか使えません。)皮膚を引っ掻いて、ぱらぱらと落ちてきた皮膚をスライドグラスに載せ、カバーグラスを乗せて水酸化カリウム水溶液をたらします。しばらく温めて、皮膚を溶かしてから顕微鏡で見てみると、緑色に光る数珠玉の長い鎖が何本も、きらきら光って見えました。
「皮膚に、カビが生えてますね。」
「ええっ!?皮膚にカビがはえるんですか?」
「はい。水虫と同じようなものです。ところで、糖尿病はありませんか?」
「えっ!…。実は、健康診断で、ちょっと糖がひっかかったんです。」
「ああ、そうですか。では、ちょっと血液検査もしておきましょうね。」
・・・といった具合に、カビによって皮膚にできた斑点から、お付き合いがはじまりました。

Nさんの血液検査の結果は、HbA1c(※)が8%を越え、立派な糖尿病…。まずは、食事と運動療法から、というわけで資料を渡したり、いろいろと説明したりしているうちに、HbA1cは6%台になり、落ち着いてきました。

やれやれと思っている矢先のことでした。平日の午前中、Nさんがかばんを下げて外来にやってきました。
「ちょっと、おかしいんだよね。」
「今日はお仕事の日ですよね。どうされたんですか?」
「電車に乗ろうとホームで待ってたら、携帯が使えないんですよ。うまく打てないの…。」
「今、腕や指は動かせますか?」
「うん。でもちょっとおかしい。」
「じゃあ、ちょっと力比べしましょう。握手しましょう。ぐっと握って大丈夫ですよ。」
と言って、Nさんの手をとっても、握り返してくる力はだいぶ弱いようです。これは、もしかすると脳梗塞になりかけているか?と思いましたので、Nさんに、
「脳の血管が詰まりかけているかもしれません。大きな病院で診てもらいましょう。『詰まりかけ』なら、お薬の点滴で治るかもしれませんから…。」と伝えました。Nさんの勤め先の近くの病院がたまたま脳卒中の拠点病院でしたので、早速電話をかけました。

ちゃんと経緯を説明したのですが、循環器外来の返事は
「今日は外来が混雑しています。来ていただいてもずいぶんお待たせすることになりますので、明日ではだめですか?」と、ちょっとつれない返事…。このまま明日まで待っていたら、麻痺が進行して不可逆性の変化になるのではと内心びくびく。Nさんが待てるというので、ちょっとドキドキしながら、
「お忙しいところ大変恐れ入りますが、明日まで待つのは心配です。ご本人も待てるそうなので、これから行ってもらいます。よろしくお願いいたします。」と、半ば強制的に、半ば懇願的な感じで電話を切りました。

後からNさんがにこにこしながら報告してくれたところによると…
だいぶ待たされたけれど診察してもらったら、そのまま入院、検査、点滴治療とすすみ、ほんのわずかな麻痺のみを残して大事に至らず退院となった。担当して下さった先生は、「電話を受けた時は、大西先生がゴネるからしょうがないなあと思ったけど、あの日すぐに外来に来てくれて良かった。」とおっしゃったとか…。(ゴネたように聞こえたかなあ?結構しつこかったかも。でも、今回はゴネ得でした!)

Nさんは、今も元気に外来に通っていらっしゃいます。退院時に残った麻痺はほんのわずかで、指先の細かい作業がちょっと不自由な程度ですが、そうでなかったら右半身麻痺だったかも知れないと思うとぞっとします。Nさんが、朝、ちょっと変だなと思った時、思い切って会社を休んで来院して下さって、本当に良かった!

まったくの無症状で進行し、ある日突然脳梗塞や心筋梗塞といった合併症を起こしてくる糖尿病の怖さを、思い知らされた経験でした。

※HbA1c(ヘモグロビン エーワンシー)とは
糖尿病の程度や血糖コントロールの状況を把握するための指標のひとつ。採血時より以前の1~2カ月の平均血糖値を反映する。血糖値は食事や運動により、常に上昇・下降しているので、採血したときの状況によって変化が著しい。血液中の糖は、赤血球膜を通過して、赤血球中のヘモグロビン蛋白に結合する。そのため、約120日の寿命のある赤血球は、比較的長期の血中の平均的な糖濃度を測る指標として優れている。糖尿病に伴う様々な合併症を予防するためには、良好な血糖コントロールとなるように、HbA1cを5~6%台にすることを目標として食事・運動療法、薬物療法を行う。

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