第14回 心筋梗塞、災い転じて…

「いいわねえ。心筋梗塞にもなってみるものねえ!」と私。
「ははは!やだあ!」と言いながら、満面の笑顔で私の肩をたたくAさん。
背後で会話を聞いていた新人看護師さんが、ぎょっとする気配が…。

Aさんは、近所に住む50代の男性中年独身貴族で、たまに風邪をひいたりすると受診される方でした。ところが、ある朝、
「何だか朝から胸が苦しいんだよね。会社に行ったんだけど、帰って来ちゃった…。」
とおっしゃって、来院されました。事務方が機転を利かせて、すぐに個室に通しておいてくれましたので、早速心電図をとりました。すると「!!」、心筋梗塞になりかけています。
心のなかでは焦りつつ、顔ではにっこり笑顔を作って、
「ちょっとこの薬をなめてみてくださいね。」と、ニトログリセリンをなめていただくと、心電図上の虚血(酸素が足りない状態)を示す変化が少し軽くなると同時に、「少し胸が楽になったみたい。まだ痛いけど…。」とAさん。
看護師さんについてもらっている間に、近くのT大病院連携室へ電話。
「50代の男性です。意識清明ですが、心筋梗塞を起こしかけています。お願いできますか?」
「わかりました。循環器の医師に連絡しておりかえします。」
ほどなく、循環器の先生から連絡があり、状態をお知らせしたところ、
「引き受けます。すぐに搬送してください!」と心強いお言葉。
「心臓に酸素が足りない状態です。すぐに大学病院へ行きましょう。救急車を呼びます。看護師さんについて行ってもらうから、安心してください。もう大丈夫!」とAさんに言って、救急車を呼びました。(本音では、「どうか大学病院までもってくれー!」と心の中で叫んでいました。)
ストレッチャーが通れるように、待合室で待っている患者さんたちに手伝っていただいて長椅子を動かし、救急隊の隊員の方々に申し送りをし、付き添う看護師さんに「搬送中、心電図上で虚血が進んだり、胸痛が強くなったらニトログリセリンを舌下させるように」と指示して、送り出しました。(救急隊員の方々は、いつものことながら、対応がきびきびしていて頼もしくてかっこいいです。)

大学病院で素早く手当てをしてくださったおかげで、その数日後にお見舞いがてら様子を見に行った時には、Aさんは元気いっぱい。
「もう元気! 心臓に管入れられちゃった!何ていうの、ほら、そうそうステント!」
急を聞きつけて、遠くからとんできたお兄様たちに囲まれて、いつものにこにこ笑顔でしたので安心しました。よくよく聞けば血圧も血糖も以前から高かったとのこと。会社の健診で指摘されてはいたものの、どこにも通院していませんでした。
「えへへ。ばれちゃった。」
「ばれちゃったじゃないでしょ!」(半分、怒)と思いつつ、手当てが間に合って良かったと、ほっとしました。

退院のあいさつにいらして下さってから数か月後、
「ちょっと風邪気味でね。」と、いつものにこにこ顔のAさんが受診されました。
「まあ、そうですか。でも、顔色はいいですね。」
「うん。大丈夫なんだけど、"うちの"がちょっと心配してね…。」
「ああ、そうですか。…ええっ!? "うちの"って、おひとりじゃありませんでしたっけ??」
(よくぞ聞いてくれました、といった顔でAさん。)
「うん。実はね、この間ちょっと身体壊したでしょ。そしたら、会社の若い子が心配してくれてね…。うふふ。今、一緒に暮らしてるの…。」
「えー!(本当にのけぞりながら)そんな奇特な人がいたのー?!良かったねー!」と、私。
「何だ!じゃあ、もう心配してあげなくてもいいんだ!」と、ベテランスタッフ。
「えっ。心配してくれてたの?」
「あたりまえでしょ!中年男がひとり暮らししてて、心筋梗塞起こしたら、誰だって心配するでしょう!?」と、いつものように歯に衣着せぬスタッフ。
皆で大笑いして終わりました。

それからも、たまに風邪をひいたり、虫に刺されて痒かったりすると来院されていたAさん。約2年たって、T大学病院から、もう定期的な通院はしなくて良いと言われ、高血圧症と糖尿病の管理目的で逆紹介されてきました。今は、心筋梗塞発症の背景となった高血圧症も、糖尿病も良い状態でコントロールされています。これも、一緒にいてくれるパートナーのおかげかなあと思うと、会うたびに幸せオーラを出しているAさんを、ついついからかいたくなって、冒頭のようなやりとりになってしまいました。

「災い転じて…」というのは本当にあるんだなあと思います。でも、もちろんならないに越したことはありません。Aさんの場合は、大事に至らず救命できて、今も元気に日常生活を送っていらっしゃいますが、そういう人ばかりではありません。特に糖尿病がある場合の心筋梗塞発症のリスクは2倍から3倍ですし、心筋梗塞を起こした患者さんの3分の1に糖尿病が合併していると言われています。また、高血圧症は心筋梗塞や狭心症の最大の危険因子です。

Aさんのように、たまにいらっしゃる患者さんが急変すると、開業医としては、こうなる前に何とか介入できなかったのかという自責の念を感じます。風邪くらいでしか来ない患者さんが持っている、危険因子を把握することはできないのか、見つけ出す良い方策は無いものか…と思います。

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