第23回 スーパーおばあちゃん -食事・運動療法-

「先生、私ね、うまく言葉で言えないから、手紙を書いてきたの。読んでください。」そう言って、Kさんは私に手紙を差し出しました。

Kさんは、70代後半の、一人暮らしのおばあちゃまです。長年、糖尿病と脂質異常症があり、私とは10年以上前からのおつきあいになります。ちょうど10年ほど前、一過性脳虚血発作を起こしました。一過性脳虚血発作とは、脳に栄養を送る血管の一部の血流が少なくなって、数分から数時間、身体の一部が動かなくなったり、バランスがとれなくなったりする発作です。脳梗塞の前兆症状と言われ、この発作があったら、脳の血管の精査をするとともに、血管が詰まるのを防ぐために、「血液をサラサラにする薬」を服用する必要があります。

Kさんにも、早速脳血管のMRIを撮っていただきましたが、ごく小さい梗塞の跡がポチポチとみられるだけで、大きな脳血管に問題はありませんでした。「血液をサラサラにする薬」を飲み始めていただき、それ以来、一過性脳虚血発作が起きることはありませんでした。Kさんも、糖尿病によって起こる合併症の怖さを良く理解してくださり、食事や運動に気をつけて、糖尿病に対する薬ものまずに、HbA1c6台にコントロールすることができてきました。しかし、残念ながら、脂質異常症の方の薬は、代表的なスタチン系をはじめとして、いろいろと試しましたがなかなか身体に合うものがなく、Kさんが不調を訴えられるので、使うことができませんでした。LDL(いわゆる悪玉コレステロール)とHDL(いわゆる善玉コレステロール)の比(*)は、2.5程度を推移して、なかなか下がってはくれませんでした。

数年たったある日、電話があって、「週末に胸が痛くなったので近所の総合病院の救急外来を受診した。狭心症と言われた」というのです。その病院で、精密検査をしよう。ついては、カテーテル検査をするので、入院することになったということでした。検査入院の日が約1週間後に迫ったある日、Kさんは私の外来にいらっしゃいました。そして、手紙を差し出して、目の前で読んで欲しいとおっしゃったのです。

手紙には、
「病院の先生の説明もよくわかったし、検査をして冠動脈が詰まりそうなら、そこにステントを入れる必要があることも良く分かっている。でも、説明の文を読んで、合併症のことも色々書いてあって、怖くなった。どうしても、どうしても、自分の身体の中に異物(カテーテル)を入れて検査するのが怖い。何とか、入れないですむようにはならないか?」
と、切々と訴えてありました。
手紙を読み終わった私の目を見て、Kさんは、
「先生、どうにかなりませんか?」「私は、どうしても検査がいやなのです。」
「何とかしていただけませんか?お願いします...。」
とおっしゃいます。

そのころ、ちょうど神奈川県に、リニューアルして最新の心臓CTを入れた病院がオープンしたと、その病院の病診連携の方が、ご挨拶に来られました。狭心症で、ステントを入れる適応があるほどなら、心臓CTで検査してはどうだろう。これなら、造影剤を入れる点滴はしなくてはならないけれど、ご本人は横になっているだけで、別に“異物”を入れるわけではないので、検査もご納得いただけるのではないだろうか。幸い、その病院は心臓CTもオープン検査(外部の医療機関が直接予約でき、検査結果を直接もどしてくれる検査連携システム)でしたので、検査予約も速やかにできるはずです。
「Kさんのお気持ちは良くわかりました。でも、狭心症の発作があったのですから、今の冠動脈の状態は、把握しておかないといけません。カテーテルの替わりに、心臓CTで検査しましょう。ちょっと遠いですが、神奈川県のS病院に最新の心臓CTがあります。身体の中にカテーテルは入れません。Kさんは横になっているだけです。CTは、今までに撮ったことがあるから安心でしょう?」

昔は、胸のCTといえば、肺野はそこそこきれいに写りましたが、心臓部分はボンヤリ…。心臓の動きが速すぎて、うまく写らなかったのです。今は、コンピュータの演算速度が驚異的に速くなり、また、心臓の動きを少し遅くする薬を投与して、心電図と同期させることで、大変鮮明な冠動脈の画像が得られるようになりました。それこそ3Dで、冠動脈のどの辺にどのくらいの狭窄があるのか、石灰化(カルシウムの沈着=血管が硬くなっている)がどの程度あるのか、といったカテーテルのみではなかなか得られない情報も可視化できるのです。

さて、Kさんは、“異物”を入れずに検査できるなら、と納得してくださいました。カテーテル検査のための入院予定日まであと1週間余り。心臓CTの方は、すぐに予約を入れることができました。後は、S病院からのお返事を待てばよい…と思っていると、CT検査の翌日、Kさんがまたまたいらっしゃいました。
「先生、S病院で検査を受けたら、『これは大変だ。すぐにでも入院してステントを入れなければ。』と言われました。『1カ月たたないうちに、心筋梗塞を起こすかもしれないくらいだ。そうしたら、死んじゃうよ。』と脅かされました。でも、私はどうしてもカテーテル検査を受けたり、ましてや異物を身体の中に入れて置きっぱなしにするなんて、どうしても嫌なんです。怖いんです。何とか助けてください。」

正直なところ、心臓CTで狭窄部分がわかったら、カテーテルを入れてステントを留置してくることもしかたないかと、Kさんも諦めてくださるかなあと思っていたので、ちょっと驚きました。と同時に、それほど嫌なことはさせられないと思いました。Kさんは、ご高齢ですが、ご自分のことをしっかり把握して、検査や治療を受けた結果得られるベネフィットとリスクを良くお分かりになっているようでした。それならば、もう一度よくよく確認したうえで、「治療しない」という選択肢をとろうと思いました。S病院から結果を早急に取り寄せたところ、確かに1本だけでなく数本の冠動脈が閉塞しかかっています。その画像をお見せしたうえで、ステントを入れないと心筋梗塞を起こすかもしれませんが、食事・運動療法で頑張りましょう、とご本人に再確認しました。総合病院のカテーテル検査・治療入院は、ご本人がキャンセルしました。

それから一カ月あまり。外来にいらしたKさん。心なしか身体が締まった感じがします。超高齢者の方で、アスリートと言っても良いほど運動を日常的にしている方は、皮膚の下にあまり皮下脂肪が無くて、すぐにしっかりした筋肉があるといった印象に見える方が多いと思いますが、Kさんも、そのように見えました。
「もしかして、少しやせましたか?」と伺うと、
「はい。運動して、質素な食事をしています。」
とおっしゃいます。
「我慢していませんか?」と心配になって伺うと、
「最初は、甘いものを我慢したりしてちょっと大変だったけれど、もう慣れました。甘いものも、もう食べたいと思わなくなりました。」とのこと。

数か月後、KさんのBMIは22程度になり、血液検査結果は…LDLとHDLがほぼ同レベル?! 
特に、狭心症発作も起こらず、血圧も正常域、HbA1cは基準値上限あたりをキープ。LDL/HDL比は、1前後(ということは、1を切る=HDLの方がLDLより多いこともある)といった値になり、そのまま経過しています。心臓CTから2年。検査をしてくださった先生に「一か月もしないうちに死んじゃうかもしれないんだよ。」と心配されましが、「ところがどっこい元気で生きてます!」って顔を見せに行きたいね。と話して笑っています。Kさんは、すごい。自分の考えをしっかり伝えて、有言実行。私のヒーローのひとりです。

※ LDLコレステロールとHDLコレステロールの比率「LH比」。2以下が基準値とされている。

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