医療関係者向けのページです

医療経済の概念から感染制御の経済効果まで

必見!医療経済事情
2016年12月発行
掲載内容は、情報誌「Ignazzo(イグナッソ)」発行時点の情報です。

東京大学大学院 薬学系研究科医薬政策学 特任准教授 五十嵐 中先生

l. はじめに

 「日本の医療費 (国民医療費) は、平成24年実績で年間39兆円です」…数字が大きすぎて、あまり実感が湧かない。
 「1人当たりにすると、年間30.8万円です」…今度は小さすぎて、やはり実感が湧かない。
 「この教室、だいたい150人いますね。一部屋で、年間4,000万から5,000万円ですね」このあたりの金額を出すと、ようやく「手頃」にイメージできるようになる。年々医療費が増大していく中、臨床系の学会でも、「〇〇の医療経済」「××の費用対効果」のタイトルを時折目にするようになった。マイナーな分野に陽が当たるようになったのは嬉しいことである。ただ、残念なことに、まだまだ誤解されることも多い。
 この稿では、薬剤経済評価・費用対効果評価について、「そもそも何なのか」「どうやって評価するのか」「評価結果をどう使うのか」に分けて紹介していきたい。

ll. タブーではない、医療とオカネ

 これまで日本では、「医療にオカネの話を持ち込むべきでない」「海外と違って費用対効果の考え方はなじまない」のような、ある意味情動的な意見も少なくなかった。しかし、この2~3年間に「とてもよく効き、なおかつとても高額」な薬の上市が相次いだことで、議論の風潮は大きく変わった。議論の風向きを変えるのに大きく「貢献」した3剤が、C型肝炎治療薬のソバルディ (ソフォスブビル)、抗がん剤のオプジーボ (ニボルマブ)、高コレステロール血症治療薬のレパーサ (エボロクマブ)である。
 2015年5月に上市されたソバルディは、12週間の服用期間で有効率 (SVR達成率)は95%以上だが、上市時点での薬価が12週間 (84日)で500万円と高額であること、また、対象患者数が多く、医療予算への影響が大きいことが議論の的となった。
 続いてオプジーボである。2014年9月に、メラノーマ (悪性黒色腫)の治療薬として薬価収載された際には、もともと適応患者数が少ないこともあり (企業提出資料ではピーク時患者数は470人)、費用の問題はそれほど論点になっていなかった。しかし2015年12月に非小細胞性肺がんに適応拡大がなされると、薬価の高さと医療財政への影響の双方が議論になった。
 「年間3,500万円で5万人が使用すると、オプジーボ単剤で1兆7,500億円に達する」のような試算も広範囲に報じられた。肺がんに対するオプジーボの臨床試験結果によれば、オプジーボと対照薬ドセタキセルの全生存期間はそれぞれ9.2ヵ月と6.0ヵ月で、「5万人の患者が1年間使う」という仮定はやや過大推計である。ただ、適応拡大によって医療予算への影響が激変したことに、現行の薬価システムが対応しきれないことが、議論のきっかけとなったことは間違いない。3ヵ月投与すれば終わりのソバルディとは異なり、投与終了のタイミングを見極めるのが難しいことも、オプジーボにとって不利な点となった。
 そしてレパーサだ。2016年4月に高コレステロール血症の治療薬として薬価収載され、1年間の薬価は約50万円と、「ソバルディ、オブジーボと比較すれば」かなり低額である。しかし対象疾患が生活習慣病であり、想定患者数が膨大になることから、中医協の場でも適応患者を家族性コレステロール血症に限定すべきなどの意見が出た。
 注目すべきは、これら高額な薬剤のあり方を議論する際に、医療予算への影響を問題視する意見・保険適応の制限を主張する意見が、保険者のみならず医療提供者側からも出てきたことである。今までのように「全薬剤が保険でカバーされる」制度を聖域化する議論から、財政状況その他を考慮して最適な医療システムを維持していく方法を考える方向へ世論が転換したことの意義は大きい。その意味で、筆者はさきの3剤を講演では「黒船」と表現している。

lll. 薬剤経済、オカネだけ?

 薬剤「経済」学そして「費用」対効果という言葉からは、どうしてもお金のイメージが強くにじむ。では、費用対効果の観点からは、ソバルディやオプジーボ、レパーサは問答無用で「高いからダメ」となるだろうか? 薬剤経済学者はお金だけを考えて新薬を否定する守銭奴だろうか?
 決してそんなことはない。薬剤経済学者も、高くてよく効く薬を一律に否定はしない。仮に高額だとしても、それに見合った効果があるのならば、費用対効果の観点からも薬は許容される。「効果」とは、まさに薬の「効き目」である。効き目のものさしになるものを、薬剤経済学では健康アウトカム (Health Outcome)とよぶ。
 くすりの効き目を評価できるものさしならば、「血圧」「心筋梗塞発症」「肝がん発症」「平均余命」「死亡数」など、どんなものでも健康アウトカムとなる。以降では、健康アウトカムを単にアウトカムと表記する。
 くすりの価値を正しく評価するためには、例えばソバルディであれば
  1. 医薬品の導入に必要なコスト(介入のコスト。ソバルディのコスト)
  2. 介入によって、将来削減しうる医療費などのコスト (ソバルディによって削減できる、慢性肝炎、肝硬変や肝がんの治療コスト)
  3. 介入の導入によるアウトカムの改善度合い (ソバルディで得られる健康上のメリット全般。肝不全死亡の減少や、生命予後の改善など)
 以上の3点を定量的に見積もる必要がある。
 i. とii. の大小比較は単なる費用比較であって、費用対効果評価とはいえない。i. の介入の費用よりも、ii. の将来的に減らせる医療費が大きくなる(結果的に費用削減となる)ことは、極めてまれである。
 i. による医療費増加幅がii. による医療費削減幅を上回って、結果的に医療費が増えたとしても、増えた分に見合った効き目の改善があれば、薬剤経済的にも妥当とされる。「費用対効果に優れる」と「医療費が安くなる」は全く別物なのである。
 図1図2に、単純化した薬剤経済評価の概念図を示した。今までのくすりを使うと1人あたり2万円 (100人あたり200万円)で、100人中85人を救命できる。一方で新しいくすりを使うと、1人あたり10万円 (100人で1,000万円)で、100人中90人を救える。
 「費用対効果」ということばからすぐに連想されるのは、既存薬と新薬、それぞれの費用を効果で割り算することだろう。この数値は図2左隅の原点から延びた2本の直線の傾きに相当する。直線の傾きは既存薬なら200万円÷85人=2.4万円/1人救命、新薬は1000万÷90人=11.1万円/1人救命となる。この値を費用効果比 (Cost-Effectiveness Ratio: CER)と呼ぶが、CERを比較しても正しい評価はできない。
 正しくは、費用も効果も既存薬(コントロール)との差をとって比較する。図中、「既存薬の効果」と「既存薬のコスト」から延びる太線の傾きに相当する。具体的には、コストの差分を効果の差分で割り算して、 (1000万-200万)÷(90人-85人)=160万円/1人救命増加となる。この値を増分費用効果比 (Incremental Cost-Effectiveness Ratio: ICER) と呼ぶ。太線の傾きがICERとなる。経済評価の際には、CERでなくICERで評価するのが基本になる。
 卑近なたとえになるが、あるレストランで「1,000円のランチ」と「1,500円のランチ」の2つから選んで注文する際に、考えるのは「それぞれのランチの1円あたり・1calあたりの値段」などではなく、「1,500円ランチと1,000円ランチの質や量の差が、差額の500円に見合っているか?」であろう。くすりの場合もこれと同様に、「コストの差分に見合った効果の改善があるか否か?」を評価するのである。
 ICERの値が小さければ、より少ない費用負担で同じ量のアウトカム改善を達成できることになる。すなわち、ICERの値は小さければ小さいほど、「費用対効果に優れる」ことになる。ただし、50万円/1人救命増加と100万円/生存年数1年増加など、異なるアウトカム指標どうしの大小比較はできない。
(左)図1 (右)図2
(左)図1 (右)図2

IV. 費用効果分析と費用効用分析~ものさしを何にとるか?~

 前章で述べたICERを計算して費用対効果を評価する際に、効果のものさし(アウトカム指標)を何に設定するかが問題になる。先の例のように救命人数をとった場合、すぐに死に至ることは少ない疾患領域、例えば生活習慣病などの慢性疾患の医薬品との比較は難しくなる。肝硬変や心筋梗塞の発症など、疾患特異的なアウトカムを用いる場合もあるが、このような場合は他の疾患領域の医薬品との比較は完全に不可能となる。肝硬変や肝がんの発症をアウトカムにとった場合、肝炎治療薬どうしの比較、例えばソフォスブビルとインターフェロンの比較は可能だが、ソフォスブビルと抗がん剤や糖尿病治療薬の比較は当然不可能であろう。
 「何年生きたか?」の生存年数 (Life Year: LY) をアウトカム指標にとれば、肝炎治療薬と抗がん剤と糖尿病治療薬を同じ土俵で比べることができる。しかし、疾患発症後の生活の質 (Quality of Life, QOL)の低下は生存年数でも評価できない。肝硬変や脳梗塞、認知症などの原因で、介助者なしでは外出できない状態で1年生きるのと、完全に健康な状態で1年生きるのとでは価値は変わってくるだろうが、生存年数をものさしにするとどちらも「ともかく1年生きた」とカウントするしかない。関節リウマチや認知症のような、生命予後への影響 (mortality)よりも生きている間の生活の質への影響 (morbidity)が重視される疾患の場合、生命予後のものさしだけでは、病気の重みを適切に測れないことになる。
 こうした考え方を発展させたのが質調整生存年 (Quality-Adjusted Life Years, QALY) の概念である。QALYの算出に際しては、特定の健康状態に、死亡がゼロ・完全に健康が1の「QOL値」をあてはめる。例えば病気が進行して寝たきりとなり、介助者なしには外出が出来ない状態 (状態Aと置く) に0.4を当てはめたとしよう。すると状態Aで1年生きることは、生存年数では当然1年だがQALY基準では1×0.4=0.4QALYに換算される。状態Aで10年生きることと、完全に健康な状態で4年生きることとがどちらも4QALYで同等となる。
 章のタイトルにある「費用効果分析」と「費用効用分析」は、ICERを計算するなどの評価手法はまったく同一で、アウトカム指標で何を使うかだけで区別される。QALY「以外」のアウトカム指標を使うのが費用効果分析 (cost-effectiveness analysis: CEA)、QALYを使うのが費用効用分析 (cost-utility analysis: CUA)である。 
 先ほどの章で、ICERについては値は小さければ小さいほど「費用対効果に優れる」と述べた。これは「1,000万円/1人救命増加よりは200万円/1人救命増加の方が、より費用対効果に優れる」という相対評価だが、QALYを使った費用効果分析の場合は、絶対的な評価も可能である。1QALY獲得あたりのICERは明確な基準ではないものの、英国では2万~3万ポンド程度、米国では5万~10万ドル程度、日本では500~600万円程度までであれば「費用対効果に優れる」とされる。この値を「閾値 (threshold)」と呼ぶ。やや意外ではあるが、「生存年数1年延長あたりのICER」「救命人数1人増加あたりのICER」「肝がん発症1人減少あたりのICER」など、QALY以外のものさしでICERを計算した場合は、合格ラインすなわち閾値が存在しないため、絶対的評価ができない。合格(費用対効果に優れる)・不合格(費用対効果に劣る)の判定が「ある程度」可能なことは、QALYの大きなメリットである。

V. おわりに

 今回は薬剤経済評価の基本的な概念に触れた。次回は経済評価の結果を政策にどのように使っていくかを紹介したい。