第06回 おなかが痛い ll

「ご乗車のお客様にお願いいたします。お客様のなかに、お医者様がいらっしゃいましたら、7号車までお越しください。お腹の痛い方がいらっしゃいます。」

大阪で学術講演のお手伝いをした帰り、新幹線で東京に向かっているときに聞いたアナウンスです。ちょうど名古屋を過ぎたころだったでしょうか。7号車といえば、数両後ろなだけ。隣に座っている講演関係者からの無言のプレッシャーを受けて(?)思わず立ち上がってしまいました。

ほぼ満席の7号車に入っていくと、3列の座席の間の手すりを上にあげ、ベッドのようにして寝かされている30歳台くらいの男の人がいました。近くにいた車掌さんに、「あの、医者ですけれど・・・。」と言うと、ほっとした顔で、「ああ良かったです。この方です。急にお腹が痛くなられたようで…。」と言います。
早速、かがみこんで「失礼します」と額に手をあててみました。熱はありませんが、脂汗をかいています。お腹は痛そうですが、うんうん唸って話しもできないというわけではなさそうです。
「どこが痛いのですか?」 
「ここらへんです。」と、お腹、といってもわき腹に手を当てます。ここらへんですか?と手を当てて圧してみても、痛みにあまり変化は無いようです。また、わき腹というより、腰骨の上あたりが痛むようです。お臍の周辺に痛みはありません。
「いつごろから、どんな風に痛いんですか?」
「ええと、乗ってしばらくしたら、なんだかここら辺が変だなあと思って。何度かトイレにも行ったんですが、さっき急に痛みが強くなって動けなくなってしまって…。」
「トイレに行ったとき、何か変わったことはありませんでしたか? 痛みの場所がトイレに行った後変わったとか…?」
「尿は普通に出たんですが…。そう言われてみると、トイレに行く前はもっと背中の方が痛かったけど、行くたんびにこっちの方に移ってきたような気がします。」
痛みの場所が、排尿をするたびに背中から腰骨の少し上のわき腹の方へ移っていったようです。
「以前、健康診断で尿酸が高いと言われたことはありませんか?」
「ああ、あります。」
(ビンゴ!まず尿管結石に違いない!)
そばに目隠し用の毛布を持って立っていらした車掌さんに聞くと、次の停車駅まで30分以上あります。
「30分くらい我慢できませんか?」
「先生、痛くて痛くて…。もう限界です。」とのこと。
「車掌さん、どこかで止められませんか? もよりの病院に運べば、痛みをすぐにとってくれると思うのですが…。」
車掌さんはどこかに連絡をとりに行き、相談の結果近くの熱海駅で降ろすことになりました。停車時間は30秒。荷物をまとめて、担架の用意をしている間、他の乗客の人が、
「先生、盲腸ですか?!」と、勢い込んで聞いてきました。
「いえ、尿管結石ではないかと思います。」
よせばいいのに思わず、「皆さんも気をつけてくださいね。」
担架に乗せて乗降口へ。そうしているうちに、新幹線は熱海駅へ滑り込んでいきました。ドアが開くと、外にいた数人が担架を受け取り、ドアが閉まり、出発。この間、30秒どころか、10秒くらいしかかからなかったように思います。JRの職員の方々のきびきびした対応が、とても格好良く感じました。

尿路(腎臓、尿管、膀胱、尿道)にできる結石は、尿中のカルシウムや燐酸、シュウ酸、尿酸などが固まって石になるものです。腎臓の中に留まっている間はほとんど症状を出しませんが、いったん尿の流れに乗って細い尿管におりてくると、仙痛発作(刺すような強い痛み)を起こします。この発作で命を落とすことはありませんが、患者さんにとってはそれこそ死ぬような痛みとなります。また、結石の大きさと場所によっては、二次的に感染症や腎機能障害を起こしてくることもあります。

小さい結石(直径5mm以下)ですと、鎮痛剤を用いて尿管の痙攣を止め、自然に排泄されることを待つ保存療法が中心になります。しかし、頻繁に発作を起こしたり、感染症を起こしたりした場合には、体外衝撃波による結石破砕術(ESWL;Extracorporeal Shock Wave Lithotripsy)の適応になります。また、大きい結石(直径1cm以上)の場合には、自然に排出されることが期待できないので、ESWLや場合によっては内視鏡などを用いた結石除去術が必要です。ESWLは、80年代半ばに医療用具となり、89年に保険適応されてから急速に普及した治療法で、切らずに結石を除去できる画期的なものです。そもそもは、第二次世界大戦中にドイツで対潜水艦兵器として開発された技術です。初期の装置は、文字通り患者さんの手足を上にして身体を吊り下げ、プールに入れて衝撃波を当てるといったデザインでしたが、最近ではプールに入らずとも治療できるような装置が開発されました。現在では尿路結石の90%以上が、ESWLによって治療されています。

尿管結石の予防には、水分を充分摂ることや適度の運動をすること、尿中の尿酸やシュウ酸を増やす飲み物や食べ物、例えば動物性蛋白質の摂取を減らすこと、シュウ酸カルシウムの結晶化を促進するビタミンCを過剰に摂らないことなどが、挙げられるでしょう。

このケースは、「お腹が痛い!」という訴えでしたが、消化器の問題でなくて泌尿器の疾患からくる痛みだったというものです。医師から見れば、腰部の痛みと言えるのですが、患者さんにとってはわき腹、つまり「お腹が痛い」ということになったわけです。
奇しくも、私が新幹線を止めてしまった最初で最後の経験です。このあとしばらくして、JR東海からお礼のオレンジカードが送られてきました。かえって迷惑をかけたような気もするんですが…。

(せんぽ東京高輪病院 小磯 謙吉先生、ご指導ありがとうございました。)

重要:本サイトの内容、回答及び推奨事項は、医療機関の受診、診断又は治療に取って代わるものではありません。本サイトを読んだことにより、医師のアドバイスを無視したり診察を受けることを遅らせることのないようにしてください。