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安全機構付き鋭利器材を対象にした医療経済評価の手法

必見!医療経済事情
2015年3月発行
掲載内容は、情報誌「Ignazzo(イグナッソ)」発行時点の情報です。

九州大学大学院医学研究院 福田 治久先生

l. 高まる医療経済評価の必要性

 我が国の医療財政は著しく逼迫しており、診療報酬の総体的な抑制傾向は病院経営を圧迫させている。厳しい経営環境下にある医療機関経営者にとって、短期的な費用増をもたらす安全機構付き鋭利器材の導入に慎重にならざるを得ない。しかし、長期的な視点に立てば、安全器材の導入により針刺し発生率が低減されれば、労働環境の向上や受傷による損失経費の縮小が期待され、投資に見合った価値をもたらす可能性もある。そのため、安全器材導入に向けた意思決定には、医療経済評価(「費用効果分析」とも呼ばれる)に基づくエビデンスが欠かせない。

ll. 医療経済評価実施のための3STEPs

【STEP1】 医療経済評価モデルの作成
 医療経済評価はモデル分析として実施されることが多い。モデル分析とは、介入(曝露)群と対照群のそれぞれについて、「介入(曝露)有無」とその後の「予後」の各状態の流れを有効性データ、状態推移確率データや費用データを用いて簡略化して表現し、2群間(介入(曝露)群と対照群)の有効性と費用の比較をシミュレーション的に実施する分析手法である。比較的短期間の分析で、複数の条件分岐が連続する問題を扱う場合には、ディシジョンツリー・モデル(決定樹モデルともいう)が有用である。例えば、安全器材(αおよびβの2製品)と非安全器材γの費用対効果を比較するために、図1のようなモデルを想定することができる。なお、図2において図2の仮定データを使用した1

1 実際の医療経済評価では、費用データ、有効性データ、状態推移確率データなどを院内データや先行研究などから信頼性の高いデータを収集した上で使用する。1つの変数に複数のデータが存在する場合は、平均値などの統合されたデータを使用することもある。また個々のデータに不確実性が含まれる場合は、各変数のデータの値を変化させて、結果がどのように変化しうるかを評価する「感度分析」と呼ばれる方法を用いることもある。

図1 鋭利器材使用のディシジョンツリー・モデル
図1 鋭利器材使用のディシジョンツリー・モデル
図2 仮定データ
図2 仮定データ
 図1のディシジョンツリーは、ディシジョン・ノードと呼ばれる■の記号で示す地点で、意思決定の判断がなされ、分枝する数だけの選択肢が存在することを意味している。図1では、安全器材α、安全器材βおよび非安全器材γの3つの選択肢があり、この3群間で比較を行うことを図示している。その後に続く各枝は、安全器材αを10万本使用した場合、AからD(図1の◀の記号で示す地点:ターミナル・ノードと呼ぶ)のいずれかの状態に移り、安全器材βの場合はEからH、非安全器材γの場合はI からL のいずれかの状態に移る様子を示している。例えば、安全器材α使用時のAへの推移件数は、安全器材α使用件数(10万本)× 針刺し確率(3件/10万本)× 感染確率(0.5%)により、0.015件と算出される。同様にして、他のB~Lの推移件数も枝分かれの際の確率データを用いて算出される。
 図1の●の記号で示す地点をチャンス・ノード(決定点)と呼び、チャンス・ノードから分かれる枝は、その時点で起こりうる可能性のある状態を示す。各状態へと分枝する確率の合計は全体で100%になることに留意が必要である。例えば、安全器材α使用時で起こりうる可能性のある状態として、「針刺しあり」と「針刺しなし」があり、前者の確率は、3件/ 10万本(0.003%)、後者の確率は99997件/10万本(99.997%)であり、両者の確率の合計は100% となっている(その後の「感染あり」と「感染なし」に分枝する場合も、確率の合計値は100% となっている)。

【STEP2】 2群間の費用と有効性の比較

 医療経済評価の次のステップは、介入(曝露)群と対照群の2群間における費用と有効性を比較することである。有効性指標は分析実施者が、分析領域において適切な指標を選択する。特に、指標としてQALY(Quality Adjusted Life Year:質調整生存年)を選択した場合の医療経済評価を「費用効用分析(CUA:Cost-Utility Analysis)」とよび、その他の臨床指標(生存年数や感染回避数など)を選択した場合の医療経済評価を「費用効果分析(CEA:Cost-Effectiveness Analysis)」とよぶ。今回は、「感染回避数」を有効性指標とした費用効果分析を実施することにする。
 医療経済評価における費用と有効性の比較において重要な点は、第1に、費用を測定する際に、分析の立場を定めることである。費用は、立場によって含まれる範囲が異なる。例えば、診療報酬は、保険者にとっては費用であるものの、医療機関にとっては収入である。医療機関にとっての費用とは、医療者の人件費や材料の購入費などの原価である。そのため、病院の立場で医療経済評価を実施する際には、費用は原価データを用いるべきである。しかし、原価データが不明な場合は、原価と診療報酬請求額に大きな乖離がないと考えられるのであれば、診療報酬請求額を代替的に使用しても良いと考えられる(分析の立場が保険者であれば、費用データには診療報酬を使用する)。第2の重要ポイントは、介入(曝露)群と対照群の「費用の増分」と「効果の増分」の「比」を用いることである。分子に増分費用、分母に増分効果を用いた比のことを、「増分費用効果比(ICER:Incremental Cost Effectiveness Ratio)」と呼ぶ(図3)。例えば、安全器材βを10万本使用した場合の総費用は、安全器材10万本の器材費用とE~Hまでの各状態の費用の総計として算出され、900万円となる(算出式は表1 脚注3)を参照されたい)。同様にして、非安全器材γ使用時の総費用は875万円となる(表1 脚注5)参照)。したがって、安全器材βと非安全器材γの増分費用は25万円増加となる。一方、効果(感染回避数)の面では、安全器材βを10万本使用した場合の感染回避数は99999.9件(表1 脚注4)参照)に対して、非安全器材γは99999.875件(表1 脚注6)参照)となり、増分効果は0.025件増加である。その結果、増分費用効果比は1,000万円/1件感染回避増加となる(図3参照)。
 一方、安全器材αと非安全器材γを比較した場合、安全器材αと非安全器材γの費用の増分は30万円減であり、効果の増分は0.11件回避増である。増分費用と増分効果の符号が異なる場合、増分費用効果比の解釈が困難になることから、増分費用効果比を算出してはいけない。
図3 増分費用効果比の算出方法
図3 増分費用効果比の算出方法
表1.安全器材10 万本使用群と非安全器材10 万本使用群の費用対効果の比較(仮定データ)
表1.安全器材10 万本使用群と非安全器材10 万本使用群の費用対効果の比較(仮定データ)
1) (80円[安全器材α単価]×10万本)+(1,010万円×0.015件[A])+(10万円×2.985件[B])+(1,000万円×0件[C])+(0万円×99997件[D])
2) 2.985件[B]+99997件[D]
3) (60円[安全器材β単価]×10万本)+(1,010万円×0.1件[E])+(10万円×19.9件[F])+(1,000万円×0件[G])+(0万円×99980件[H])
4) 19.9件[F]+99980件[H]
5) (50円[ 非安全器材γ単価]×10万本1)+(1,010万円×0.125件[I])+(10万円×24.875件[J])+(1,000万円×0件[K])+(0万円×99975件[L])
6) 24.875件[J]+99975件[L]

【STEP3】 増分費用効果比の解釈

図4 効率性の判断方法
図4 効率性の判断方法
 図4は、安全器材が非安全器材に対してどの程度効率的であるかを可視化したものである。原点に対照群である非安全器材γを位置付け、X 軸に増分効果をY 軸に増分費用をとり、安全器材αと安全器材βの座標点を定めた。
  表1の分析結果から、安全器材αは非安全器材γに比べて、効果が高く、費用が安い。この場合、安全器材αは第4象限に位置付けられる。第4象限は「優位(dominant)」と呼ばれ、必ず導入すべきという判断が得られる(「価値判断」を必要としないエリアである。価値判断については後述する)。なお、今回の分析事例には含めていないが、評価対象が第2象限に位置付けられる場合は「劣位(dominated)」と呼ばれ、効果が悪く、費用が高いため、必ず導入すべきではないと判断されるエリアである。
 一方、安全器材βは非安全器材γに比べて、効果が高く、費用が高かったため、安全器材βは第1象限に位置付けられる。この場合、増分費用効果比は1,000万円/1件感染回避増加であるから、職業感染を1件回避するのに1,000万円の価値があるかどうかを意思決定者が判断しなければならない。安全な労働環境に高い価値をおく経営者であれば、安全器材βを導入する意思決定を下す可能性もあるが、1,000万円の費用増に対して職業感染を1件回避するだけでは、投資に見合わないと考える経営者もいると思われる。すなわち、第1象限に位置付けられる場合、意思決定者の「価値判断」が必要になる。なお、仮に、他メーカーの安全器材δの増分費用効果比を算出した結果、同じく第1象限に位置付けられるのであれば、増分費用効果比の値が小さいほど効率的な器材と判断される(図4の場合、安全器材δの方がICER が小さく効率的であることから、安全器材βの採択可能性は否定され、安全器材δを導入するかどうかの価値判断がなされる)。なお、第3象限はいわゆる「安かろう悪かろう」であり、その導入には第1象限と同様に、価値判断を要する。

lll. おわりに

 本稿は、安全機構付き鋭利器材を対象に大幅に単純化させたディシジョンツリーと仮想データを用いて、医療経済評価の実施手法について解説した。実際のディシジョンツリーは、曝露源となる患者の血液検査の結果や、針刺しを受傷した医療者の血液検査の結果により、チャンス・ノードが多数必要な複雑なモデルになる。それに伴い、費用データや状態推移確率データが多数必要になる。より詳細かつリアルデータを用いた医療経済評価の結果をIgnazzo 第12号において紹介したい。
 医療経済評価は、経営レベルのみならず政策レベルにおいても有益な意思決定支援ツールである。従来、政策レベルにおける医療技術の導入判断には、有効性と安全性が重視されてきたが、近年は、経済性の評価軸を含めた効率性の観点から評価することの重要性が認識されつつある。そのため、適切な手法に基づいた医療経済評価を医療現場から積極的に発信し、安全で質の高い医療が、適切に評価され、効率的に資源配分される社会が実現されることを期待したい。なお、感染制御領域における医療経済評価の実施手法に関する詳細は文献1-3)も参照されたい。

文  献
1) 福田治久. 医療関連感染領域における医療経済評価の実施手法の概要. 日本環境感染学会誌 2014: 29(5); 324-332.
2) 福田治久. 医療関連感染領域の医療経済評価における費用の評価手法. 日本環境感染学会誌 2014: 29(6); 387-395.
3) 福田治久. 医療関連感染領域の医療経済評価における有効性の評価手法. 日本環境感染学会誌 2014: 29(6); 396-404.