医療関係者向けのページです

コラム:70年前にもアウトブレイクしたデング熱

2015年3月発行
掲載内容は、情報誌「Ignazzo(イグナッソ)」発行時点の情報です。

 40年程前の1976年に原作が書かれたミュージカルに、ジョン・トラボルタ主演の「サタデイナイトフィーバー」“Saturday Night Fever”がある。米国の下町で“行き場のないエネルギー”を踊ることで発散する若者たちの刹那的な姿を70年代社会を背景に描いた映画である。この映画で流れたディスコ音楽が一世を風靡し、フィーバー(Fever)が日本でも流行語になった。
 そうした極度の興奮を意味するFever の本来の意味は、発熱や高熱性疾患を指すのは周知のことだが、例えば、Lassa fever(ラッサ熱)、Marsh fever(マラリア)、Yellow fever(黄熱病)などの疾病が挙げられる。
 昨年70年ぶりに国内での感染拡大が話題になったデング熱もDengue Feverという病名であるが、骨関節の激痛から骨を壊すという意味でbreak- bone Feverとも呼ばれている。
 ここ10年ほど、国内でのデング熱感染者の大半は渡航歴のある患者であった。2000~2010年の10年間に864例もあり、2010年には245例が報告されている。昨年デング熱の報道が過熱したのは、確認された感染者に渡航歴がなかったこと、さらに感染地になった代々木公園がまさに東京の中心であったためである。
 では、70年ほど前の発生例はどうだったかというと、太平洋戦争中の昭和17年から20年(1942~45年)にかけて全国的にアウトブレイクしたのである。1942年7月に南方から1隻の軍用船が長崎港に帰還した際、来航直後に長崎市内にデング熱が流行し、船中で採取された蚊が感染源として特定された。流行は長崎市に始まり、広島市や大阪市など西日本に拡大、同年の国内感染者は1万7,554人に及んだ。その後、終戦を迎えると焼夷弾の消火のための防火水槽も撤去され、蚊のわく温床も激減し、公衆衛生の向上も加わって流行は終息した。
 ところでデング熱の臨床症状だが、潜伏期間は4~7日で発症時は悪寒を伴って急に高熱を出し発症し、他のウイルス感染症と同じく発熱、発疹、関節痛、筋肉痛などの症状がある。大半は週単位で自然に解熱、自然治癒することが多い。インフルエンザと紛らわしい症状だが、インフルエンザのように咽頭痛、咳、鼻汁という上気道の症状はなく、臨床上の大きな違いは「眼底の疼痛」が生じるということであるし、70年前には素人でもその発疹を見れば一目でデング熱とわかったようだ。
 もっとも診断上の違いがわかりやすいと言ってもそれは70年前。昨年に引き続いてのこの夏の感染拡大が懸念される。東京都は4月からデング熱を媒介するヒトスジシマ蚊をボウフラの段階で駆除するために昆虫成長阻害剤の散布を実施するというので、その成果を期待しよう。

参考文献:『JIM』2014年8月号

(文責:長 茂)