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コラム:梅毒(Syphilis)を顧みる

2019年3月発行
掲載内容は、情報誌「Ignazzo(イグナッソ)」発行時点の情報です。

アルブレヒト・デュラーの「梅毒の男」
アルブレヒト・デュラーの「梅毒の男」
Albrecht Dürer 1496
Etching of a Person with Syphilis
 日本国内で梅毒が再び増加している。そのためIgnazzoのコラムにも取り上げることとなったが、すでにたくさんの疫学情報があふれている。そこで、梅毒の歴史について顧みることにした。

 梅毒はコロンブスが新大陸から持ち帰ったと言われている。世界で初めて梅毒が認識されたのは15世紀終わり、フランス王シャルル8世がスペイン領のナポリを陥落させた後であろう(この戦にコロンブス隊の水夫が参加していたらしい)。ナポリに侵攻したフランス軍は奇妙な水痘病におそわれ、停戦を余儀なくされた。この病は瞬く間にヨーロッパで拡散した。
 梅毒は当初「大水痘」と呼ばれたが、ナポリに侵攻して病を得たフランス人は「ナポリ病」「スペイン病」などと呼んだそうである。フランスから広まってきたので、周辺諸国は当然ながら「フランス病」と呼んだ。この手の病名は各国の事情をよく反映していて、ポーランド人は「ロシア病」、ロシア人は「ポーランド病」、トルコ人に言わせると「キリスト病」となり、日本でも「唐痘」とか「ポルトガル病」と呼んだようである。この病が外来の伝染病であったことがよくわかる。
現代では梅毒をSyphilis(シフィリス)と言うが、これはイタリアのGirolamo Fracastoroという医師が1530年頃に公表した『Syphilis, sive Morbus Gallicus(シフィリス、またはフランス病)』という詩に由来しているそうである。シフィリスという豚飼いがアポロ神を馬鹿にしたため罰を受け、全身に「汚いただれ」ができたという。つまりSyphilisという病名は、梅毒に罹患した豚飼いの名前に由来していると考えられる。

 さて、治療法のなかった時代は梅毒が最終ステージまで進んだ。体表や体内に腫瘤や膿腫ができ、神経系も侵され命を落とす病であった。それ故、いろいろな治療法が考案された。水銀を服用または塗布する方法も試みられたが、それは梅毒そのものと同様に危険であった。Paul Ehrlichと秦佐八郎はヒ素を含む梅毒の特効薬「サルバルサン」を世に出した。この薬剤は原因微生物を狙い撃ちする「魔法の弾丸」であったし、その後の抗菌薬のあり方にも影響を与えたと思われる。残念なのはヒ素を含んでいたことである。
 特筆すべきはマラリアを感染させる梅毒の治療法である。これはオーストリアの医師Julius Wagner-Jaureggが神経梅毒による麻痺性認知症に対して発熱性疾患が進行を遅らせることを発見し、1927年にノーベル賞を受賞したものである。マラリア療法はペニシリンの劇的な効果が知られるまで神経梅毒の患者に施されていた。
 梅毒は今日ではペニシリンなどの抗菌薬によって良好に治療できる。原因菌であるTreponema pallidumは薬剤耐性を獲得しにくいようである。ただし、進行した梅毒はいまだに治療効果に乏しい。禁酒法時代のシカゴを闊歩したアル・カポネは梅毒に冒されていた。脱税で刑務所に収監されたときは、看守から所長まで買収して豪華な刑務所暮らしをしていたが、収監中に梅毒が進行し、別人のようにおどおどした性格に変わっていた。釈放後、新たに開発された特効薬ペニシリンを民間人として初めて投与されるが、効果はなかったようである。


さて、梅毒は増加している性感染症ではあるが、クラミジアや淋菌感染症に比べると少ない、しかも耐性菌がいないので治療も奏功しやすい。そう考えると梅毒に対する戦略が見えてくる。
 予防的な行動(感染しない)が最も重要なことは言うまでもないが、早く気付いて治療を受けることが重要である。そのためには公衆衛生情報に触れる機会を増やすことである。さらに治療を完遂するためには短期治療が好ましい。そのためには日本で販売されていないペニシリンGベンザチン注の導入が望まれる。最後に、妊娠中の梅毒感染による先天性梅毒を予防できればよい。これらにより不可逆的な悲劇を遠ざけることができるだろう。

(文責:日本BD 吉田 武史)

参考文献:Disease 人類を襲った30の病魔 Mary Dobson著 小林 力 訳 医学書院