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コラム:魔弾の射手

2019年10月発行
掲載内容は、情報誌「Ignazzo(イグナッソ)」発行時点の情報です。

魔弾の射手
魔弾の射手
 ほかでもないオペラの題名である。ウェーバー作曲の3幕物のオペラで約200年前に初演された。
 ドイツ語の題名は「Der Freischuts」とあり、英語で云うと「The Free Shooter」と魔弾を連想させる題名ではない。ちなみに我々が抗菌薬をイメージする「魔弾」はドイツ語で「Zauberkugel」、英語では「Magic bullet」・・こちらはエールリッヒ以来の魔弾(標的だけを撃ち抜く魔法の弾丸)を意味しているが、今回はあえて「魔弾の射手」に注目してみたい。

 オペラのあらすじは以下のとおりである。
 主人公の狩人マックスは恋人のアガーテと結婚するために射撃大会で勝つ必要があるが、現在不調である。そこに同僚のカスパールが現れ、「魔弾」を使うと思いのままに当てることができると誘う。この魔弾は悪魔ザミエルによるもので7発中6発は思い通りに標的に当たるが、最後の1発は悪魔ザミエルの思いのままに操ることができる。それを知っているカスパールは先に魔弾を撃ち尽くし、最後の7発目をマックスが撃つのを隠れて見守っている。最後の7発目は恋人のアガーテに向かうが、花冠にはじかれて悪役のカスパールが命を落とす。マックスは魔弾を使用した咎を受けるが、最後に物語はめでたく終わる。
 実は筆者自身が「魔弾の射手 序曲」を演奏する機会に恵まれた。序曲にも悪魔ザミエルのテーマがあり、魔弾はティンパニとコントラバスのピチカートで表される。高弦の不安なトレモロ(pp:ピアニッシモで)とチェロの怪しげなメロディの中、6発の弾丸はピチカート(pp)で奏でられるが、弦をはじくときは結構緊張する。7発目は力強く弦をはじくがこれも度胸がいる(譜面の最下段のパート)。これこそが魔弾の射手の心境である!

 さて、賢明な読者の皆様はお気づきと思うが、このコラムでは「魔弾の射手」を「抗菌薬の使い手」として考えてみたわけである。抗菌薬は人体に害を及ぼさずに標的となる細菌を攻撃するまさに魔弾であるが、副作用を含む有害事象のみならず、薬剤耐性菌を選択的に増やしたり耐性の発現を導くリスクを持っている。これこそは魔弾の7発目である。我々の思い通りに働いてくれないことを常に念頭において注意深く使われるべきであろう。使わないで済むのであれば投与を控え、使う場合は標的となる細菌の名前を唱えながら適正量を適正期間使用する。これが「抗菌薬の使い手」のあるべき姿かと思う。
 そもそも抗菌物質は微生物同士の生存競争の中で作り出された化学物質であり、土壌中では長い年月をかけて抗菌物質と耐性機構は培われていると考えられる。ちなみに現在のMRSAの持つ耐性遺伝子mecAは2.5億年前にはStaphylococcus fleurettiiの祖先が保有していたとする報告もある1)。つまりどれほど優れた抗菌薬(これから出てくる抗菌薬も含めて)でも、自然界にはすでに耐性機構がどこかに存在していることを恐れながら使うべきであろう。

 さて問題の抗菌薬であるが、日本国内ではセファゾリンの供給不足から派生していくつかの主要抗菌薬の供給不安が継続している。せっかく浸透し始めた抗菌薬適正使用に支障をきたしている。今後さらなる主要抗菌薬の供給不安も予想され「どうしたらいいのか?」という声が聞こえてくる。厚労省はAMR臨床リファレンスセンターの協力の下で代替薬リストを公表したが、今回の供給不安は施設によって事情も違うようであり、最終的には抗菌薬の使い手に判断をゆだねられることになりそうである。いまこそ医療者と行政の踏ん張りどころかと思われるが、悪魔ザミエルを頼ることなく「抗菌薬の使い手」の智慧を期待したいところである。

(文責:日本BD 吉田 武史)

引用: 1) Tsubakishita S, et al. Antimicrob Agents Chemother 2010; 54: 4352-9