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第3回 アメリカは再興感染症「結核」をどのように克服したか

はじめに

結核は言うまでもなく結核菌よる感染症で、人類の知る最も古い疾患の一つである。古くから国民病と呼ばれていたぐらい日本には多かった疾患である。
しかし近年の生活氷準の向上、医学医療の進歩、結核医療関係者などの努力により減少の一途をたどりつつあった。ところが最近、再び猛威を振るいはじめ、過去2年間連続して新患者が増加している。全国あちこちの施設で結核の集団感染の発生がメディアに取り上げられ、再興感染症「結核」ヘの一般の関心が日々高まっている。これらが1999年7月、日本政府が出した“結核緊急事態”の宣言につながっていることは周知の通りである。日本のこの現状は、アメリカが10年あまり前に経験した再興感染症「結核」の悪夢と酷似している。
結核は人問を主な宿主として、結核菌を含む水摘や微粒子の吸入により感染する。その結核菌は、ほとんどの場合結核患者から由来する。結核が空気感染で伝播するのは、結核菌がほかの多くの微生物と異なり、患者から排出された後、長期間体外で生存しうる特性を持っているからである。また、結核菌は健康な宿主の体内に侵入した際でも簡単に殺されない特殊な病原菌である。結核菌に感染した者の5〜10%は発病するが、治療すればほとんど治る疾患でもある。
それゆえに、この社会で結核罹患者を減少させ結核を撲滅するには、その感染源、すなわち結核菌を排出しているか、排出する可能性のある結核患者を速やかに確認し、徹底的に治療することによってこの社会から感染源を除去する以外に手はないといえる。アメリカにおける最近の結核対策の成功も、一見簡単なように見えるこの基本原則を忠実に、国をあげて実行した努力の賜物にほかならない。

アメりカにおける結核問題の背景

結核は現在でも世界で最も多い感染症である。

WHOの最近の統計によれば、全世界で約800万人の結核患者がおり、98年度には約200万人が結核で死亡している。これら結核患者の大部分はアフリカ、東南アジアなどを含めた発展途上国に発生しているが、日本、アメリカ、西欧諸国を含めた先進諸国でも毎年20万を超す新患者が記録されている。

アメリカでの結核は17世紀より記録されている。アメリカ東部地方から始まった結核は次第に増え、アメリカ各地に広がり、19世紀の未には人口10万人当たり650人という高い罹患率を示すようになった。しかし20世紀に入り国民の生活水準が向上し、ストレプトマイシンの発見などを含めた医学、医療技術の発展、行政各層における感染症への関心が高まるにつれ、結核患者数、結核による死亡者数は次第に減少しはじめた。この減少傾向は80年代の半ばくらいまで続いた。

53年より85年の約30年間に結核患者数は74%も減少している。このような結核患者の長期にわたる減少傾向は、医療行政、医学教育などに携わる関係者に間違った安心感を与え、結核はもはや過去の疾患で、近い将来自然消滅するであろうと思い込ませた。その結果、一部の根強い反対にもかかわらず、それまで結核対策にあてていた予算や厚生施設、教育、研究などにつぎ込まれていた努力が、ほかの分野に振り当てられたのである。

同時に一般人の結核に対する知識や警戒心も次第に薄れてきた。医学部、研修病院などの教育カリキュラムで結核に関する講義時間が削減され、結核向けの研究費がほとんど出されなくなった。筆者の同僚であり世界的に知られた結核専門家が研究を続けられなくなり、精神科医に転向したという例もあった。当然ながら、その時期に医学教育を受けた医師たちの結核に関する知識はとても十分とは言えず、重症の粟粒結核を見逃したり、誤診するような事態を招いてきたのである。さらに、結核予防に必要な最低限の行政的、疫学的能力の不足で、菌を排出している患者が社会に放置されるような場合さえ出てきたのである。

このような結核防止に必要な国内の医療システムの後退、医療政策における結核の軽視などが起こっている時期に、アメリカの社会にいくつかの予期せざる事態が起こったのである。それは、80年代初頭からのAIDSの爆発的流行、大都会における経済的貧困者、ホームレス、麻薬中毒患者、犯罪者人口の増加、さらに発展途上国からの結核罹患者を含めた移民人口の増加、多剤耐性の結核菌の出現などである。

その結果、85年まで減少を続けた新結核患者数が次第に横ばいとなり、さらに93年までの数年間に新患者数が14%も増加した。このような傾向はニューヨーク市などの大都会で特に著しく、一時は結核患者の増加にほとんど手のつけられないような事態にまで悪化したのである。この恐るべき結核の再蔓延の兆しを見た政府、医療機関などの関係者たちは事態の重大さに驚き、事態改善には国をあげての対策が必要なことを悟るのである。その結果、政府機関内に結核撲滅部を設立し、CDC(アメリカ疾病管理センター)などの政府機関、民間各層の結核専門家などのブレインが動員され、結核撲滅対策委員会(advisory council for the elimination of tuberculosis)が設置され、“結核撲滅への戦略計画案”が作成されたのは89年である。
 
この案は国の結核撲滅へのはっきりしたビジョン(2010年までにアメリカから結核を根絶する)と、それを達成するに必要と判断される詳細かつ具体的な実行策を示すもので、それ以後10年間、国のガイドラインとして、連邦政府、地方行政機関、医療機関などによる結核撲滅対策の遂行に大きく貢献するのである。89年に始まった国をあげての結核撲滅運動の推進と成功には、政府、議会からの莫大な予算補助や地方自治政府、医師会などの協力が大きな役割を果たしたことは言うまでもない。ちなみにニューヨーク市のみでも年間約50億円を超す結核対策費を投入している。

結核撲滅対策の実行と成果

89年以来、アメリカが国をあげて取り組み、すぱらしい成果をあげつつある結核撲滅対策の根元を成すものは“結核は感染症”であり、その撲滅には“感染源の除去”が必須であるというごく簡単な論理である。結核は治療可能な感染症である。そのためアメリカ社会に現存する結核患者を漏らさず確認し、徹底した治療を施すことによりその目的を達するというのがその基本的な考えである。

それにはまず、
1)あらゆる手段を尽くして現存する結核患者を確認し、
2)結核と診断された患者には徹底した抗結核剤による治療を施し、
3)患者との接触者を追跡検査し、
4)結核に罹患しやすいと考えられる特定リスクグループに対する必要予防処置を講ずることによってのみ可能であると考えたわけである。

アメリカの結核患者の分布は地区によって大差がある。二ューヨーク市、ロサンゼルス市などの大都会には結核患者が集中して多く、南北ダコタ、ワイオミングなどの人里離れた州では極めて少ない(表1)。それで各地方自治体(州、市町村)は国の示した基本原則を守りつつ、それぞれの地方に適した結核対策を打ち立て、それを連邦政府と協調しつつ効率よく推進したのである。アメリカのように、地方自治の発達した国では地域行政の首脳の理解と協力がなければ、成果は期待できない。

結核撲滅策の実行にあたり、長年にわたって退行した結核対策に必要な施設、組織、技術などの早期復興は至難の業である。そこで、アメリカは3段階を経て理想的なシステムの達成をもくろみ、まず第1段階として、すでに存在している衛生行政、医療システムを最大限に利用することから始め、それに必要な予算的、行政的、法的手段を整えたのである。それと平行しつつ、第2段階ではさらに優れた結核予防、診断、治療技術などの開発と評価を計画し、第3段階では開発された新しいテクノロジーの実用化を目指したのである。

第1段階では、新しい患者が増えつつあるという事実は感染源となる排菌患者が放置されているのが最大の原因であるとの認識のもと、これらの患者を確認するあらゆる努力がなされた。結核が疑われる場合、迅速に検査を終え、結核と診断した医師、医療機関、検査室などに法的な報告義務を課した。すなわち、結核が疑われる患者に接した場合、2週間以内に一応の検査を終え、結核が診断されれば3日以内に地区の衛生局への報告を義務づけた。これに違反した場合、事実関係を調査され、免許停止などを含めた厳重な罰則が適用されるようになった。

結核患者が発見された場合、早急に(3日以内)その患者と接触のあった人々の追跡調査が行われ、必要な検査、予防的治療が施された。また、結核に罹っている可能性の高い特定のリスクグルーブ(ホームレス、留置収監者、AIDS罹患者、発展途上国からの移民、麻薬患者、貧困地域の住民など)には積極的に接触を試み、ツベルクリン検査などを施して未確認の結核患者の発見に努めたのである。また、院内感染予防策の一環として医療関係者にはその職場で年1回のツベルクリン反応を検査し、陽転者には予防的治療を行うことが義務づけられている(ちなみに、アメリカでは人口の大部分が結核感染を経験していないうえ、BCGなどの接種をしないのでツベルクリン反応は陰性であり、そのためツベルクリン反応が結核対策の疫学的手段に使用される)。

そのほか、結核検査などが十分できない医療施設のために、州の検査室の結核検査能力を著しく改善・充実し、無料かつ最低期問で結核の微生物的診断ができるようにした。結核患者の発生を正確に捕捉するため、その地区の衛生局への専用電話線が24時間開通し、薬局で販売された抗結核剤の行き先が綿密に追跡調査され、全国結核サーベイランスシステムに連なるようになった。発見された結核患者には、診断確立後4日以内に化学療法の開始を規定し、徹底した治療により感染源としての危険性を取り除くようにしたのである。

治療には通常、短期(2週間)入院に続く数週間の通院が必要である。この際、難しいことは結核の化学療法の完了には比較的長期の日数がかかることである。問題はいかにして患者に薬剤を定期的に摂取させ、治療中断を防ぐかである。不完全治療が起これば感染源除去の目的が達せられないばかりか、恐るべき多剤耐性菌の出現にも連なることになる。
それを防ぐために考え出された手段の骨格をなすものが、
1)患者に治療関係者の目の前で薬剤を投与する“Direct Observed Therapy”(DOT:直接監視療法として知られている)と、
2)どうしても治療を拒む感染性の強い患者の強制拘束による治療を認めた法律の制定である。
DOTを徹底するため、金銭あるいは生活必需品、交通費などを対価として患者に与えることが法で認められ、その実施が予期した以上の功を奏したのである。勿論、DOTの成果には数多くの医療関孫者や結核僕滅の熱意に燃えたボランティア(アウトリーチワーカー)の献身的努力があったことを忘れるべきではない。
結核対策として、DOTの効果は高く評価されており、アメリカの国内のみならず、今や広く世界の結核対策のゴールドスタンダードとなりつつある。人権尊重が非常にやかましい国で、法規の改正により強制拘束によってでも感染源を除去し、結核の危機を克服しようとするところに、アメリカの堅い決意が覗かれよう。

ガイドラインには、さらに各地区の医療、行政関係者が全国一様な高い技術レベルと効率で結核の探索、検査、診断、治療、管理、追跡、予防ができるよう詳細かつ具体的に指定されている。紙面の関係でこの詳細は割愛せざるをえないが、その一例をあげれば診断に必要な喀痰の鮮度(24時間以内のもの)から結核菌の塗抹、培養、同定、薬剤感受性検査の標準まで示している。培養、同定の結果は喀痰採取後10〜14日以内に、薬剤感受性試験は15〜30日で結果を出すべきとしている。
これなどは結核の早期発見、早期診断、早期治療に直接結びつくものであろう。また、結核に関する教育の重要さも見直されCDCなどの政府機関、研究所、病院、教育機関などの努力で医療、衛生行政に携わる者の結核の知識は目に見えて向上しつつある。 さて、89年の結核撲滅計画の第2段階、第3段階の目標、すなわち結核の病理機序の解明、結核感受性、防御に関与する宿主の遺伝因子の解析、予防、診断、治療のためのより効果的な新技術の開拓などの実現には莫大な予算と手間、研究努力が必要である。
 
結核撲滅に国をあげての努力が始まって以来、政府、民問の各層において結核研究活動が活発化し、興味ある成果が得られつつある。DNAワクチンを含めたより有効で副作用の少ない予防法が開拓され、評価されつつある。また最近、結核菌の核の塩基配列が完全に解明され、そのデータは結核菌の病原性の解明や新しい抗結核剤の開発などに役立つことが期待されている。第3段階における成果の早期実用化に期待したい。2000年6月には、結核専門の国際会議がニューヨークで予定されており、結核に関する基礎、臨床研究の最新の成果が発表、討議される予定である。

約10年前に始まったアメリカの結核撲滅対策は着実に実を結びつつある。アメリカの結核は92年を最悪のピーク(新患者数2万6673人)として再び減少に転じ、ここ数年間減少し続けている。98年には新患者数が1万8361人になり、人口10万人当たりの患者数6.3人という史上最も低い罹患率を達成している。これは92年のピーク時より31%も減少したこととなる。しかもアメリカにおける現在の新結核患者の大部分が経済的に恵まれない人種グループや、結核流行地区からの移民人口などの特定リスクグループのみに限定されつつある。

これはアメリカの将来の結核対策を国内の厚生政策とともに、世界的視野で繰り広げるべき必要性を示している。人々の流れが世界的になった現在、国内だけに限った対策ではアメリカの結核の完全撲滅は望めない。結核の撲滅への世界的対策はもうすでに始まっている。最近、発展途上国の結核予防接種対策に、アメリカの民間企業が莫大な資金を寄付したことが伝えられているが、これらも結核間題の重要さが広く一般に理解されてきた結果であろう。

おわりに

再興感染症「結核」間題で、その解決対策を追られている日本にとって、アメリカがここ10年あまりの期間に実施し、成功を収めてきた結核撲滅対策はいろいろな意味で手本とすべきであろう。CDCのような有能かつ指導性のある政府の厚生機関が先頭に立ち、一貫したガイドラインを作り、決めた対策を効果的に実行できるようにするシステムの作成は印象的である。
あらゆる資源を動員し、規制事項に違反した場合激しい罰則を課すとか、目的達成に必要最善と判断された優れた検査法、治療法をはっきり指定するなどは、アメリカの結核対策を成功に導きつつある重要囚子であろう。国あるいは社会全体にとって絶対必要だと判断したとき、アメリカという国がとる決意と実行力は驚異に値する。まず具体的なビジョンを立て、その達成に国をあげての頭脳を集め、原則を貫き、一貫した方策を打ち立て、必要に応じ行政組織、法律なども躊躇なく変え、しかも設定した計画の進歩を追い、かつ定期的に評価し、さらに新しい方策を探る努力ができるのは、アメリカという国の真の強みであろうと思われる。


メディカル朝日2000年3月号より転載
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