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Difco & BBL の歴史

Difcoの歴史(Difco Manual 第11版より)

Difco Laboratoriesは1895年Ray Chemicalとして創立され、消化過程を促進するための高品質の酵素や、乾燥組織・腺などの製品を生産していました。その後Ray Chemicalは、細菌の培地成分として使う消化酵素の生産を専門に扱っていたDigestive Ferments Companyを買収しました。動物組織の加工、酵素の精製、脱水処理などの経験を十分に蓄積したため、乾燥培地調製へスムーズに移行していき、1913 年にDigestive Ferments Companyは、ミシガン州デトロイトへ移転しこのときにRay Chemicalという名前は廃止されました。

1895年以降、細菌や真菌の発育促進用に肉などのタンパク質消化物が開発されました。ペプシン、パンクレアチン、トリプシン(およびそれらの消化過程)などの分析に関する大規模な研究が行なわれ、Bactoペプトンが開発されました。Bactoペプトンが初めて発売されたのは1914年で、容易に使える窒素源として水やミルクの細菌検査に用いられました。Bactoペプトンは、細菌培地調製用の標準ペプトンとして、今日にいたるまで長い間利用されています。

プロテオース ペプトン、プロテオース ペプトンNo.2、プロテオースペプトンNo.3が開発されたのは、栄養要求の厳しい細菌の発育には1種類のペプトンだけでは、最も適した窒素源にはならないというそれまでの研究成果によるものでした。プロテオースペプトンは、一定した高い力価のジフテリア毒素の調製用に開発されました。Bactoトリプトースは、最初にブルセラ菌の発育用に処方されました。また、 Bactoトリプトースは、栄養要求の厳しい細菌の分離や培養に、浸出液などの添加剤の添加を必要としないペプトンとして初めて調製されました。

Digestive Ferments Companyは、1923年に診断用試薬の調製を開始しました。梅毒などの病気の診断に使われる製品の開発で、ははじめから終わりまでまで、Difco はその分野に通じた専門科学者に直接参加を依頼し、彼等と熱心に研究を進めました。Bactoトロンボプラスチンは、血液凝固の研究用に初めて製造された試薬で、1930年代初めに開発されました。この製品は、Difco Laboratoriesの多くの「ナンバーワン」の製品の中でも、長寿製品の1つとなりました。

1934年に、会社名をDigestive Ferments Companyの各頭文字をとり「Difco」としました。Difco Laboratoriesは、新しくて品質の良い培地組成の開発に的を絞ることにしました。

第2次世界大戦の後、微生物学と医療の分野は、急速に発展していきました。Difcoは、成長を続けるこの分野の需要に対応すべく、細菌、免疫製品に力を注ぎました。Difcoは、1940年代には細菌の抗血清および抗原の生産という難題に挑戦しました。子会社であるLee Laboratoriesは、今でも細菌抗血清で主要メーカーの1つです。Difco Laboratoriesに、次の「ナンバーワン」が訪れたのは1950年代で、C反応性タンパク質抗血清、トレポネーマに作用する抗原、および反ストレプトリジン試薬の開発でした。

1950年代、1960年代を通して、Difcoは臨床用製品を次々に開発していきました。Bacto血液培養ボトルが、敗血症の診断および治療用に開発されました。Difco Laboratoriesは、インビトロでの組織細胞およびウイルスの増殖、維持のための試薬の調製のパイオニアとなりました。

ペニシリンの発見に伴い、全く新しい微生物学の一部門が生まれました。Difcoは、「理論化された」ディスク拡散法に用いるための、抗菌薬ディスクの研究開発を開始しました。この結果、1946年のBacto感受性ディスクに続き、1965年にはディスペンスOディスクが開発されました。

1960年代、Difco Laboratoriesは、寒天の製造能力を得て、細菌培地の最大メーカーとなりました。Difcoは今日まで変わらず「ゴールドスタンダード」として愛用されているBacto Agarを提供しています。

バクトロールディスクが、Difco Laboratoriesから1972年に発売されました。バクトロールディスクは水溶性のディスクで、培養・生化学・血清学における特性が知られている生菌が含まれており、精度管理試験に用います。バクトロールディスクは、Difcoの数多い精度管理用製品の中で最初に製造された製品です。

1983年にDifcoは、Paul A. Smith Company(後にPascoとして知られる)を買収しました。半自動装置であるPasco MIC/IDシステムは、細菌の同定および感受性試験用の装置です。Pascoデータ管理システムは、単独で、あるいは自動システムのバックアップ用として、検査専門業者や臨床検査室で用いることができます。

1992年、自動連続モニタリング血液培養システムであるESPが発売されました。ESPは最初の血液培養システムで、細菌の発育によるガスの産生と消費を検出します。その技術は、ESP Mycoに引き継がれ、マイコバクテリア種の発育、検出、感受性試験が行なえるシステムに採用されています。ESP臨床システムは、1997年に AccuMed Internationalに売却されました。

1995年、Difco Laboratoriesは創業100周年を迎えました。Difcoは1995年に、細菌学製品を扱う会社では、米国で初めてISO 9001を取得しました。国際標準化機構(ISO)により、Difco Laboratoriesは、細菌業界の世界的品質基準に準拠していることが認証されています。
「応用微生物学のリーダー」となったDifco Laboratoriesは、1997年に「臨床微生物学のリーダー」であるBecton Dickinson Microbiology Systemsに買収され、世界最大の細菌学の会社となりました。Difco Laboratoriesは、Becton Dickinson Microbiology Systemsと共に、世界の微生物学者のためにより一層貢献できるよう、努力を続けて参ります。

BBLの歴史(Manual of BBL Products and Laboratory Proceduresより)

BDダイアグノスティックスは、50年以上にわたり微生物検査製品を提供してきました。1935年6月、ジョーンズ・ホプキンス病院の Theodore J. Carski、Einar Leifson博士により設立されたボルチモア生物学研究所(Baltimore Biological Laboratories)が、われわれの始まりです。ここで最初に製造された製品は、粉末培地でした。

その後、微生物用培地に添加する窒素源、ペプトンの研究に着手すると同時に、3種の新しい培地、セレナイトーFエンリッチメント,デソキシコレート寒天培地、グラム陰性菌の分離選択培地であるデソキシコレートークエン酸塩寒天培地の製造を始めました。これらの培地は、現在、数百種類に及ぶ培地と共に現在も製造されています。

ボルチモア生物学研究所は、John Brewer博士の発明とリーダーシップで、大きな発展を遂げました。Brewer博士による初期のピペットは、この研究所で製造され、ガス・パックの先駆けとなるBrewer嫌気ジャーは、ルーチンの嫌気性細菌検査を実用的で安全なものを可能にしました。

その後も、新しい発見が相次ぎました。還元剤であるチオグリコール酸ナトリウムの添加により、嫌気性菌増菌培地として、チオグリコール酸培地が作られたほか、新しい成分を加えることにより多くの培地が開発されました。これら培地には、現在多くの方々に愛用していただいている、トリプチケースペプトン、膵消化カゼイン、ファイトンペプトンやトリプチケースソイ寒天培地、トリプチケースソイ・ブロス、その他多くの培地に利用されているパパイン消化大豆ペプトンなどが使われています。

第二次世界大戦以降は、非経口薬による治療の時代となり、それに伴い、製薬業界において、無菌的な充填機器や、信頼性のある滅菌培地へのニーズが高まりました。このニーズにこたえるべくボルチモア生物学研究所(BBL)は、ピペット、そして、バイアル、アンプル、その他の小容器の洗浄・処理機器等の製品をこの市場に導入し、BBLブランドの培地、および関連製品を普及させましました。

1947年、BBLはベクトン・ディッキンソン・アンド・カンパニー(BD)と共に、血液検体を直接採血管に採取することができる血液採血管、 VACUTAINERブランドの共同開発に着手しました。数年にも及ぶ共同研究開発は、BDとの関係を深め、1955年にボルチモア生物学研究所(BBL)は、BDの1事業部門となり、同年、製薬業界の要望にこたえるべく、抗菌薬を染み込ませたディスクを採用した感受性検査製品である「センシディスクシステム」を発表しました。

その後の10年間で、多くの新しい抗菌薬が市場に登場しました。そのため、抗菌薬感受性検査ディスクを手作業で培地プレートに配置するという従来の作業方法は、検査技術者に大きな負担となっていました。センシディスク・ディスペンサーは、この作業を容易にする初めての半自動器具として発表されました。

1952年、アメリカ版Lowenstein-Jensen培地の組成を導入し、試験管培地が市場に登場しました。また1960年には、BBL粉末培地、Falconブランドのペトリ皿および、自社の動物飼育施設の動物血液を商品化した培地プレートの開発により、さらに培地製品が拡充されました。 1968年には、ペトリ皿の製造のためにプラスチック製造センターを設立しました。それ以来、ベクトン・ディッキンソン・マイクロバイオロジー・システムは培地プレート製造において世界最大手のメーカーとなりました。

その他にも1963年に凝固検査製品Fibrometer、翌年には使い捨て水素発生パック「ガスパック」〔後に二酸化炭素発生パックも登場〕、 1966年には、嫌気性菌検査の安全性を重視して、触媒を加えた「ガスパック・ジャー」、1974年には、生化学試薬を染みこませたディスクを利用した小型化微生物識別システム、「ミニテック」を発表しました。

1965年後半、BDマイクロバイオロジー・システム(現 BDダイアグノスティックス、ダイアグノスティックシステムズ)は、ボルチモア中心地から、北へ約24kmSparksという町に位置する工業団地に移転し、以後の成長拡大を可能にしました。

BDは1985年に、姉妹会社であり免疫検査製品においてはリーディンカンパニーであったHynson Westcott and Dunning社を吸収合併しました。木炭粒子とラテックス凝集を利用して、患者の血清から特異抗体を検出する血清カード検査、MacroVue RPR、RFカード検査、Rubascan、およびCMVスキャンシステム等は広く利用されています。さらに、BDは直接患者検体から抗原を検出する免疫系検査製品である、Directigen製品群を販売しています。最近では診断検査用のリポソーム試薬を開発することにより、免疫学分野における技術の視野を広げています。

1987年に、BDがGIBCO Laboratories社を買収し、2大培地メーカーの経営資源と事業活動が統合されました。これにより、BBLブランドの培地が拡大し、販売製品の幅が広がりました。

BDダイアグノスティックスは、これからも高品質製品、並びにより良いサービスをお客様に提供していきます。製品は厳しい品質管理の下に製造され、 BD流通システムを通じて、アメリカ国内の各地事業所から国内、および海外の200に及ぶ販売拠点に供給されています。また、ドイツと日本には海外培地製造工場があります。われわれはコミットした営業活動を通して、お客様に総合的なサービスを提供しています。

単なるパートナーシップから出発し、多くの医療器具を扱うメーカーへの発展を可能にした基礎となったのは、日々の厳しい品質管理、製品改良、そして研究開発です。BD BBLブランド製品へのすばらしい評価は、弊社の社員のみならず、医療技術の改良、開発に貢献してきた「創始者たち」への賛辞でもあります。