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無菌外科手術の開拓者 ジョセフ・リスター

先人たちの足跡
2005年11月発行
掲載内容は、情報誌「Ignazzo(イグナッソ)」発行時点の情報です。

19世紀の後半まで、外科手術は敗血症による高い死亡率との戦いでした。リスターは、敗血症の原因となる傷口の腐敗(化膿)が細菌によって起こることに気づき、手術に石炭酸(フェノール)を用いて、死亡率を激減させました。
 ジョセフ・リスターは1827年に英国エセックス州アプトンで生まれました。父ジョセフ・ジャクソン・リスターは著名な科学者で、当時はまだ実用的ではなかった複式顕微鏡を改良し、現在のような強力な研究ツールにまで高めたことで知られています。リスターは1844年、ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジに入学。その後、同大学の医学部に進み、医学士になりました。

 リスターの業績について振り返る時、当時、外科手術がおかれていた状況について考えてみる必要があります。19世紀半ばに登場した麻酔は、患者を切開による恐怖から開放し、医師を手早く作業しなければならないという義務感から開放しました。それまで、苦痛を恐れた患者たちは、当然のごとく、迅速な手術を要求し、そこそこに正確でさえあれば、作業のもっとも早い「職人」が最高とされていたのです。それが麻酔の導入によって、複雑で、長時間にわたる手術もできるようになったのです。しかし、当時、手術による傷からの回復は常に運に左右されており、技術的には成功しても、化膿による敗血症で命を落とす患者も少なくありませんでした。

 卒業後、リスターは炎症やそれに類する症状について、丹念な研究を続けました。彼がグラスゴー大学の外科部長に任命された時、同市の病院は敗血症の温床になっており、死亡率は40%とも言われていました。同じ頃、産科医のジェームズ・シンプソンは自宅での手術に比べ、院内での手術による死亡率が高いことをはげしく糾弾し、病院そのものが汚染されているので取り壊されるべきであると主張しました。しかし、リスターは、敗血症の主な原因が外科医と器具、そして助手にあると主張し、手術による高い致死率は病院が原因ではないことを立証しました。

 リスターは、傷口で血液が腐敗することが、化膿の原因ではないかと考えるようになりました。そして、1866年、傷口をばい菌から守るために、複雑骨折の治療に石炭酸(フェノール)を使用し、良好な結果を得たのです。汚水の消臭剤として用いられていたその液体に強力な消毒作用があると考えたのです。しかし、石炭酸原液には腐食作用があり、一般の手術では不適切とされたため、最適な媒体を探すためにさらに長い間研究が行われました。そうした中で、リスターは石炭酸の水溶液を外科医の手や器具、患者の皮膚に噴霧して使用するようになりました。このような研究と実践により、手術による死亡率は激減したのです。

 1900年にパリで開かれた国際医学会議で、彼は、「自分が行なったのはパスツールの発見を理解することで、それを外科手術に応用することだった」と述べました。パスツールの研究から、有機物が腐敗するのは「ばい菌」のせいであること、菌は動物の体内に自然発生することはないことを学んだのです。しかし、パスツールの発見を彼のような視点から眺めた者は他にいませんでした。

リスターの足跡
 ところで、リスターとイグナッツ・ゼンメルワイスとの関係は、歴史的にも重要です。産褥熱について研究し、手指消毒の重要性を説いたゼンメルワイスは当時、無名の医師で、医学界からも無視されていました。1870年代には、リスターの消毒法はヨーロッパ各地で実践され、ゼンメルワイスの母国ハンガリーも例外ではありませんでしたが、外科医たちは、彼の名を口にすることはありませんでした。後に、ロンドンの開業医デューカがゼンメルワイスの伝記を著し、それによってリスターははじめて、ゼンメルワイスを知ったのです。以降、リスターは彼を偉大な先人と見なすようになり、消毒法の真の創始者はゼンメルワイスであると主張し続けたと言われています。

(文責:日本BD 大川三郎)