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ジョナス・ソーク

先人たちの足跡
2016年12月発行
掲載内容は、情報誌「Ignazzo(イグナッソ)」発行時点の情報です。

ポリオワクチンの開発者 ジョナス・ソーク
ジョナス・ソーク写真
ジョナス・ソーク(Jonas Edward Salk、1914年10月28日生~1995年6月23日没)は米国の医学者であり、ウイルス学者です。彼が最初のポリオワクチンの開発に成功したことにより、最も恐れられていた病気で、多くの子どもが犠牲となっていたポリオがほぼ撲滅されました。

医学の道へ

 1914年10月28日、ジョナス・ソークはニューヨークに生まれました。父母は正規の教育を受けたことのないポーランドからの貧しいユダヤ人移民でした。ソークは13歳の時、知的才能に恵まれた学生のためのタウンゼント ハリス ハイスクールに入学しました。仲間の一人は「手に入るものはすべて読んでしまう完全主義者」と評しています。その後ニューヨークシティカレッジへ入学しました。労働者階級の移民家族にとってここは最高の教育を受けたことを象徴し、入学は困難でも学費は無料でした。猛烈な競争はありましたが、出自による差別のない公平なルールが与えられていました。彼は弁護士を目指していましたが、母の勧めによりシティカレッジを卒業後、医学を学ぶためにニューヨーク大学に進学しました。患者の治療よりも人類の役に立ちたいと考えた彼は、医師ではなく、研究者の道を選んでいきます。大学の最後の年、インフルエンザの研究に従事し、免疫によるウイルス感染予防の可能性を見出しました。このことが後のポリオワクチンの開発に繋がっていきます。

研究の進展

 1941年、ソークはB型インフルエンザを発見したミシガン大学のトーマス・フランシスの研究所で2ヵ月間を過ごし、 これがウイルス学への第一歩となりました。その後、ニューヨークのマウントサイナイ病院では、研究に軸足を置きながらも臨床医と外科医としての優れた能力を発揮しました。恒久的な研究者のポジションを求めていたもののユダヤ人の枠がなく、トーマス・フランシスに助けを求めました。フランシスは助成金を得、ソークにインフルエンザワクチン開発の仕事を持ちかけました。彼らはワクチンを開発し、それはすぐに幅広く軍隊を中心に使用されました。その後、メロン財団からの助成金などによってインフルエンザワクチンの研究は続けられましたが、あるとき小児麻痺財団からポリオプロジェクトへの参加を打診され、彼は「この重要なプロジェクトで働けることは幸せだ」と語り、参加を即答しました。

ポリオの研究

 ポリオは研究者を悩ませていた長年の課題であり、感染経路が明らかになるまでには長い年月を要しました。20世紀の初頭には多くの人々、特に子どもが犠牲となっていました。1916年のニューヨークでは9,023人が発症し、2,448人(28%)が死亡しており、毎年、夏になるとポリオの流行は最も恐れられる災厄のひとつでした。年々ポリオへの恐怖感が増大する中で、1938年に基金が設立されましたが、多くの研究者は非常に危険な生菌ワクチンを使用した実験を行っており、犠牲者が出ていました。
 このことから、ピッツバーグ大学で研究を行っていたソークは、より安全な死菌ワクチンの研究を行いました。動物実験で成功した後、ワクチンはまずポリオに感染した人たちに試され、次にポリオに感染したことのない人たちに試されました。彼の妻と3人の息子が最初のボランティアになっています。1954年には約100万人の子どもたちにワクチンが接種され、大規模な実験が開始されました。1955年4月12日(ポリオを患った米国大統領フランクリン・D・ルーズベルトが10年前に亡くなった日)、ミシガン大学で報道関係者を含む500人の参加者の前で死菌ワクチンの安全性が発表されました。この状況は全米各地の映画館でテレビ中継され、50,000人を超える臨床医が発表を見守りました。
 多くの米国人がラジオやデパートのスピーカーから流れるこの発表を聞き、ヨーロッパでもボイス・オブ・アメリカの放送が聞かれました。米国では発表のあった4月12日はほとんど祝日のような状態になったと言われています。カナダやヨーロッパの国々では、ソークのワクチンを直ちに導入することを発表しました。このワクチンの開発は近代医学の奇跡とも呼ばれ、ソークは国際的なヒーローとなりました。
 2年後の国際ポリオ学会では、ワクチン投与後にポリオの症例が極めてまれになったと報告されています。ワクチンが導入されていない国ではポリオの継続的な流行が認められ、国際援助の形でワクチンが提供されることもありました。1988年、国際的にポリオの撲滅キャンペーンが開始され、2003年までに一部の地域を除いてポリオが根絶されました。ソークはポリオワクチンについて安全で効果の高いものを開発することに力を注ぎ、自身の利益を求めませんでした。ある時のインタビューで、誰がワクチンの特許を持っているかを尋ねられたところ、「誰も特許を持っていません。太陽に特許はありませんね」と答えたそうです。

その後

 1962年、カリフォルニア州ラホヤにソーク研究所を設立しました。研究所は分子生物学と遺伝学の分野で世界的に有名になっており、多くのノーベル賞受賞者を輩出しています。1980年代半ば以降、当時非常に恐れられていたAIDSのワクチンを開発するために力を注ぎましたが、1995年6月23日、心不全のため80歳で亡くなりました。
(文責:日本BD 小林 郁夫)